大学後半辺りからハマっていて、
今年の5月ほどまでハマり続けていたギャンブルがあります。
駅近くにある綺羅びやかでやかましい店。
そう、パチンコです。
何気なく店に入り、打って、ちょっと小金が増えた。
それを皮切りにのめり込みました。
お金を捨てている感覚。
消えていく諭吉。
憤慨しても何処にぶつけたらわからない怒り悲しみ。
煙草の煙たさ、耳に押し寄せる騒音、視覚に訴えるビカビカ。
座りっぱなしで、動かすのは瞬きと右手、
たまにお金を差し込む左手が動く。
皆表情を曇らせて、死んだ目で大当たりを眺める。
列挙すればキリがないくらい悲惨な場所です。
一度中に入ってみればわかりますが、怖いです。
それでもハマったのは、やはりお金が増えるかもしれないという錯覚です。
どんどん増える、そしてそれ以上に減るお金。
世間からの風当あたりが強くなっても、
今日こそはと向かってしまうんです。
暇さえあれば言ってました。
そんな私がどうして止めることが出来たのか?
理由についてはまず、
以下に書きます状況から読んで下さい。
その日私は諭吉を2枚持って乗り込みました。
『1/99』で当たる台に座り、隣に座っている人も同様の台で、
両者とも500回転回しても当たりませんでした。
トイレ休憩に行く私。煙草休憩をするお隣さん。
戻ってきた私は打ち始め、隣の人も打ち始めました。
ほどなくして、2人同時に大当たりを決めました。
そして同時に確率変動に突入しました。
通常状態移行も、ほぼ同時。
そこで、私の中で、ぽっきりと、何かが折れたのです。
遊んでいるのではなく、遊ばれている。
遊びが大好きな私ですが、遊ばれるのは気に食わない質です。
その日より2ヶ月。めっきり打たなくなりました。
久しぶりに行ったのは、パチンコ台『CR戦国乙女』の最新作が出たという時。
しかし、その日を堺に約半年経ちますが、
積極的に行きたいという衝動すらも湧きませんでした。
パチンコの演出が見たいのでしたら、
動画関連サービスを見ればいいですし、
それが消されたら、あとは完全な興味喪失です。
約3年間愛してやまなかったものでも、
冷めてしまうとこうもあっさりと止められるものです。
貴方の友人がパチンコにのめり込んでいて、
やめさせたいと願って忠告しても、
その友人は耳を貸さないでしょう。
自分で気付くまで待つしかないんです。
打っている間は、そういったことを聞き入れられないのです。
熱に浮かれているんです。
むしろやめろやめろと言われると、
意固地になってしまう恐れだってあります。
気付くのを信じましょう。
私みたいに気付けたら、
あの日々は今後の勉強料だと前向きになっていけるはずです。
ラベル:雑記